ガーマ・リファーイー/جامع الرفاعى

السلام غليكم

ガーマ・リファーイーは、イブントゥールーンモスクから歩いて5分くらいの近さにあります。
ちなみに、「ガーマ」とは「モスク」のことです。「モスク」は英語で、アラビア語では「جامع(ガーマ)」と言います。 「大学」を意味する「جامعة(ガマア)」とよく似ているので間違えそうになります。
ガーマ・スルタン・ハサンと隣り合っているため、大通りからは良く見えません。

ドームが見えるのはガーマ・スルタン・ハサン。ガーマ・リファーイーはこの隣にある。

↓の写真の右側がガーマ・リファーイー。左側がガーマ・スルタン・ハサンです。本当に隣り合っています。ここに入るときに入場料を取られます。ガーマ・リファーイーとガーマ・スルタン・ハサンは一枚のチケットで入れます。

ガーマ・リファーイーの内部、ここは天井が高いのですが、上に開けた広場がなく、ちょっと薄暗い感じです。

となりのガーマ・スルタン・ハサンの内部が↓の写真。だいぶ違いますよね。

ガーマ・スルタン・ハサンはマムルール朝期の建築だから13~15世紀くらいでしょうか。ガーマ・リファーイーは20世紀に入ってから建てられたものなので、時代の違いの問題なのでしょうか?

ガーマ・リファーイーは天井が大きく開いていない代わりに、豪華なシャンデリアがあります。このあたりはオスマン朝様式の影響を受けているのかもしれません。

さて、ガーマ内部を見学していると、明らかに作りが違う一角があります。
壁は大理石で何だかピカピカしています。

我々が訪れたときに、ちょうどツアーでエジプトに来ていた日本人観光客の方とここで一緒になりました。
日本人同士で「ここ何なのでしょうね~?」と話していたら、奥の方からこのガーマの管理人らしきおじさんが現れて英語で説明してくれました。
どうやら、ここはイラン革命で亡命したパフレヴィ2世のお墓らしいです。
確かに国旗らしきものが建ててある一角があり、ポールで囲まれては入れないようになっています。

イラン最後のシャー パフrヴィー2世の墓標

この他、ここにはムハンマドアリ朝のフアード1世のお墓もあり、パフレヴィ2世のことを教えてくれたおじさんが案内してくれました。
↓の写真はたぶんそれ。豪華なお墓ですね。

ガーマ・リファーイーのあたりは、いわゆるイスラーム地区の南端にあたり、マムルール朝、オスマン朝時代のイスラム建築がたくさんあります。
昨年の旅行のときには時間的な問題で1日で見て回りましたが、本来は何日かかけてゆっくり見て回りたかったと思います。

しかし、ここで疑問。本来ガーマにお墓は作らないのでは?
以前読んだ本では、ガーマにお墓は作れないが、お墓のお世話はして欲しいので、ある程度偉い人達は、死後のお墓のメンテナンス費用集めと人集めのため、マドラサ(学校)とかガーマ以外の宗教施設に附属してお墓を作り、そこへの寄付でお墓の手入れをしてもらっている、ということを読んだ記憶があります。
でも、ここは明らかにガーマの中にお墓を作っているのですよね。
このあたりはどんな理屈になっているのでしょうか?
機会があったら聞いてみたいものです。

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